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趙ヒツ[ちょう ひつ]
趙 佖(ちょう ひつ、1082年 - 1106年)は、北宋の神宗の九男。 == 経歴 == 才人武氏(後に貴妃)の息子として生まれた。賢和帝姫の同母兄である。 元豊5年7月に生まれ、元豊6年(1083年)閏6月、儀国公に封ぜられた。幼少の頃、急驚風(てんかん)で一度病状が悪化し、名医銭乙により一命を取り留めた。元豊8年(1085年)4月、兄の哲宗により大寧郡王に封ぜられた。紹聖2年(1095年)3月、申王に進封された。 元符3年(1100年)に哲宗が崩じた際、嗣子がなかったので、長弟の趙佖を推す重臣もいたが、皇太后向氏が目疾〔急驚風の後遺症で斜視だったと思われる。〕を口実に反対した。同年3月、帝位を継いだ弟の徽宗により陳王に再進封された。崇寧5年11月、薨去し、燕王の位を追贈され、「栄穆」と諡された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙ヒツ」の詳細全文を読む
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