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趙 串珠(ちょう かんじゅ、1114年 - ?)は、北宋の徽宗の第22皇女(夭逝を除いて第9皇女)。 == 経歴 == 賢妃崔氏(後に淑妃、庶人となった)の三女として政和4年(1114年)2月に生まれ、100日で(5月27日)、寧福帝姫の位を授けられた。 靖康の変後、金に連行され、陳王完顔宗雋の側室となった。金の天会8年(1130年)6月、次婦の位を授けられた。 1139年7月、完顔宗雋が処刑された。翌天眷2年(1140年)2月、趙串珠は熙宗の宮に入れられた。翌皇統元年、趙串珠は夫人の位を授けられた。以後の動静は不明であるが、『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで金で健在であったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙串珠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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