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趙伯圭[ちょう はくけい] 趙 伯圭(ちょう はくけい、生没年不詳)は、南宋の皇族。字は禹錫、諡は憲靖。秀安僖王趙子偁の子であり、第2代皇帝孝宗の同母兄。 == 経歴 == 孝宗在位中に知明州兼沿海節度使や顕謨閣学士・龍図閣学士を歴任、光宗が即位すると少師に昇任、後に太保となる。1191年、判大宗正事に任じられ太師となり、また崇信軍節度使を兼ねた。慶元年間に没すると、崇王に追封された。 子に趙師虁、趙師揆、趙師垂、趙師禼、趙師禹、趙師皋、趙師岩、趙師彌、趙師貢の9子がある。また、弟である孝宗の提案で明州時代から関係があった同地出身の宰相・史浩の末子である史弥堅(史弥遠の弟)に娘の新安郡主を嫁がせている〔岡元司「宋代明州の史氏一族と東銭湖墓群」, 東アジア美術文化交流研究会編『寧波の美術と海域交流』, 中国書店, 2009年9月.〕。 南宋末から元初にかけての政治家・文人である趙孟頫は、趙師垂の曾孫にあたる。
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