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趙俊[ちょう しゅん] 趙 俊(ちょう しゅん、1073年5月16日(熙寧6年4月1日) - 1077年11月16日)は、北宋の神宗の三男。 == 経歴 == 才人宋氏(後に貴妃)の次男として生まれた。皇長子(成王趙佾)の同母弟、賢孝帝姫の同母兄である。 他の4人の男子はみな早世していたため、父帝は特に趙俊を愛した。熙寧7年(1074年)正月、永国公に封ぜられた。幼頃から責任感が強く、官爵を自称し、気持ちを表に出さない性格をしていたという。 熙寧10年10月22日(1077年11月16日)夜間、薨去した。父帝は朝廷を5日間停止し、2人の医官を降格して追い出した。趙俊は兗王の位を追贈され、「哀献」と諡されて、普安院に葬られた。2年後、祖父英宗の永厚陵に従葬された。元符3年(1100年)3月、弟の徽宗により唐王の位を再追贈された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙俊」の詳細全文を読む
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