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趙幼悟[ちょう ようご] 趙 幼悟(ちょう ようご、1044年1月18日 - 1045年5月20日)は、北宋の仁宗の八女。 == 経歴 == 美人張氏(前に修媛、後に貴妃、温成皇后となった)の三女として生まれた。荘順帝姫と荘定帝姫の同母妹である。 張氏が幼悟を妊娠中に、次姉の宝和公主(荘定帝姫)が死去し、自身も病となり、美人への降格を求めた。慶暦3年12月10日(1044年1月18日)、幼悟は生まれた。慶暦4年12月12日(1045年1月8日)、出家し、保慈崇祐大師の道号を贈られた。 慶暦5年(1045年)4月5日、鄧国公主に封ぜられた。同月23日に還俗し、斉国長公主〔「長公主」は皇帝の姉妹や娘の中で尊崇を受けた者につけられた封号。〕に進んだが、2日後(西暦同5月20日)に死去し、韓国公主の位を追贈された。 嘉祐4年12月(西暦で1060年)に燕国公主の位を再追贈された。治平元年(1064年)6月、再従兄の英宗から秦国長公主の位を再追贈された。元符3年(1100年)3月、徽宗から唐国大長公主の位を再追贈された。政和4年(1114年)12月、荘慎大長帝姫の位を再追贈された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙幼悟」の詳細全文を読む
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