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趙敬 趙 敬(ちょう けい)は、宋の宗室の祖。廟号は翼祖(よくそ)。順祖の男子。太祖と太宗の祖父。 『宋史』によると、唐末に営、薊、涿3州の刺史を歴任したという〔巻1本紀第1(太祖1)。〕が未詳。任官以前に瀛州清苑県(現中華人民共和国河北省保定市、宋代の保州保塞県)の劉昌(りゅうしょう)に人柄を見込まれて息女の婿に迎えられていたと伝え〔蘇舜欽「内園使連州刺史知代州劉公墓志」(『蘇学士集』巻14所収)。〕、その劉氏との間に太祖、太宗の父(宣祖)を成した。 年未詳であるが忌日は4月12日で、後周顕徳年間(954年 - 960年)にを追贈、太祖が宋を興した建隆元年(同960年)に簡恭皇帝(かんきょうこうてい)と諡され、幽州に山陵が営まれて定陵(ていりょう)と名付けられた〔李攸『宋朝事実』巻1祖宗世次翼祖条。諡号と陵名は翰林学士竇儼の撰定。〕。その後、真宗の景徳元年(1004年)に京師に近い河南県に改葬され、大中祥符5年(1012年)には簡恭睿徳皇帝(かんきょうえいとくこうてい)と追号された〔李前掲書。〕。なお、真宗の崩御後の乾興元年(1022年)に真宗の陵名を永定陵と定めるに際して、陵名は靖陵(せいりょう)と改称されている〔李燾『続資治通鑑長編』巻99、真宗乾興元年7月戊寅条。〕。 ちなみに、妻劉氏は簡穆皇后(かんぼくこうごう)と諡され、夫妻が居したと伝える保塞県は「(宋の)皇家の故郷」とされた〔蘇前掲志。〕。 == 脚注 ==
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