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趙フ[ちょう ふ]
趙旉(ちょう ふ、1127年7月30日(建炎元年6月13日) - 1129年8月4日(建炎3年7月11日))は、南宋の初代皇帝・高宗の一人息子で皇太子。 生母は開封の人で、北宋末期から南宋初期の医官である潘永寿の娘の潘賢妃。諡号は元懿太子(げんいたいし)。 ==生涯== 1129年に、高宗の政策に反対する李綱ら武断派の重臣たちの圧力によって、わずか3歳で父からいったん譲位された。だが、秦檜・張浚ら文治派の家臣たちの猛反対で元の太子に戻った。 『宋史』によると、彼は病弱で、この年の秋7月にわずか3歳で夭折した。その時の父・高宗の悲しみは尋常でなく、数日間は涙が溢れ出して慟哭を繰り返していたという。また、乳母と用人が殺された。 高宗の男子は他になく、太祖の第3子・趙徳芳の末裔という遠縁の(孝宗)を養嗣子に迎えた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙フ」の詳細全文を読む
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