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趙欣伯[ちょう きんはく]
趙 欣伯(ちょう きんはく)は中華民国、満州国の政治家・法律家。北京政府、奉天派の政治家で、後に満州国、汪兆銘政権に参加した。 == 事績 ==
=== 奉天派などでの活動 === 清末、禁衛軍で衛兵となる。その後、省立天津北洋大学で学んだ。辛亥革命後は北京文明新劇団で旦角(女形)を演じている。また、この頃に国民党に加入した。1913年(民国2年)に二次革命(第二革命)に参加したが、敗北したために大連に逃れる。劉笑痴と改名して、日本人への中国語教師をつとめた〔徐主編(2007)、2277頁。〕。 1915年(民国4年)、日本に留学する。明治大学法科を卒業して、陸軍大学校で中国語講師となった。1924年(民国13年)、東京帝国大学大学院〔徐主編(2007)、2277頁によると「学士院」とあるが、「大学院」が正しいと思われるため修正する。〕で法学博士号を取得している。1926年(民国15年)に帰国し、東三省巡閲使署法律顧問に就任する。これは、公使館付陸軍武官だった本庄繁が張作霖に推薦したものとされる〔「瀋陽“九・一八”歴史博物館」。〕。翌年7月、北京政府外交部条約修改委員会委員に任ぜられた。1928年(民国17年)6月、張作霖爆殺事件が発生すると、奉天省に戻る。法学研究会を組織して会長となり、雑誌『法学研究』を刊行した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙欣伯」の詳細全文を読む
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