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趙玉盤[ちょう ぎょくばん] 趙 玉盤(ちょう ぎょくばん、1099年〔『開封府状』靖康二年(1127年)正月まで:「嘉徳帝姫28歳名玉盤。」「成徳帝姫(1108年生)18歳。」「太子諶(1117年生)10歳。」〕 - 1141年)は、北宋の徽宗の長女(第一子)。 == 経歴 == 端王趙佶(のちの徽宗)の側室鄭氏(後の顕粛皇后)の長女として生まれた。端王が皇帝に即位後、建中靖国元年(1101年)5月29日、徳慶公主の位を授けられた。大観3年(1109年)2月、嘉福公主の位を改授された。 政和3年(1113年)4月15日、嘉福帝姫の位を改授された。政和5年(1115年)4月28日、嘉徳帝姫を再授され、間もなく左衛将軍曾夤に降嫁した。 靖康の変後、金に連行され、宋王完顔宗磐の側室となった。金の天会8年(1130年)6月、玉盤は次婦(妾妻)の位を授けられた。 金の天眷2年(1139年)7月、完顔宗磐が処刑された。その後、完顔希尹は玉盤を熙宗に献じた。天眷3年12月(1141年)、玉盤は死去した。夫人の位を追贈された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙玉盤」の詳細全文を読む
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