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足利周こう
足利 周暠(あしかが しゅうこう、生年不詳 - 永禄8年5月19日(1565年6月17日))は、戦国時代の僧侶。足利将軍家の一族で、室町幕府12代将軍・足利義晴の末子。13代将軍・足利義輝、15代将軍・足利義昭の弟である。 == 生涯 == 幼い頃から仏門に入り、相国寺の塔頭・鹿苑院の院主になった。永禄7年(1565年)5月19日、松永久秀・久通父子と三好義継・三好三人衆によって将軍・義輝が殺害され(永禄の変)、周暠も松永らの命令を受けた平田和泉守に誘い出され、小姓とともに京都へ行く途中で殺害された。なお、小姓は周暠が殺害された直後に平田を殺害した。 奥野高広の『足利義昭』は周暠を17歳であったとしているが、義晴の死後に出生したことになり、年代が合わない。『系図纂要』においては存在自体が省かれている。 平島公方史料集所収の系図によると、18歳とある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「足利周こう」の詳細全文を読む
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