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足利家時[あしかが いえとき]
足利 家時(あしかが いえとき)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府の御家人である。 == 系譜 == 父は足利頼氏、母は上杉重房の娘。彼女は頼氏の側室であったと考えられ、源頼朝の重臣であった足利義兼以来の北条氏の娘を母としない足利氏当主となった(父・頼氏の正室については今までは不明であったが、北条氏の傍流佐介時盛の娘であるとする系譜が発見されている)。 足利氏の歴代当主は、代々北条氏一門の女性を正室に迎え、その間に生まれた子が嫡子となり、たとえその子より年長の子(兄)が何人あっても、彼らは皆庶子として扱われ家を継ぐことができないという決まりがあった〔が、正室(北条時盛の娘)が子を生む前に早世した頼氏の跡は、その庶子であった家時が家督を継いだ。これまでの足利嫡流家歴代当主の諱は足利義氏以来、泰氏が北条泰時からの偏諱〔田中、2013年、p.67、臼井論文。〕、頼氏が北条時頼からの偏諱〔に通字の「氏」を付けるといったように、「北条氏得宗家当主の偏諱+「氏」」で構成されていた〔田中大喜 「総論 中世前期下野足利氏論」(田中、2013年、p.25)。〕のに対して家時に「氏」が付かないのはこのためであると主張する説〔があるが、代わりに用いられた「時」の字は北条氏の通字であり、やはり北条氏から偏諱を受けたものであるとも考察されている〔田中、2013年、p.131、小谷論文。年代を考慮すれば北条時宗から下賜されたものと思われる。〕。一方の「家」の字については正確には不明であるが、頼氏の死後家時の成長まで当主代行を務めていた伯父(頼氏の兄)・斯波家氏からの偏諱と考察する説〔田中、2013年、P.167、吉井論文。尚、家氏との関係は、『前田本源氏系図』で家時が「尾張守家氏子云々」(田中、2013年、P.211、前田論文)とされるほどである。〕がある。
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