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平島 義寛(ひらしま よしひろ)は、江戸時代後期の武士。 == 生涯 == 第9代平島公方平島義根の子として平島に生まれる。父義根は京都の文人と交流が多く何かと物入りのため、文化2年(1805年)に藩主蜂須賀治昭に加増願いを出したが断られたことなどから、阿波を出て京都に移り足利氏に復した。『系図纂要』では、義寛が父と同行したかについてや、本人及び子の没年については触れていない。 義寛は父と同行し京都に移り、その後、公家の桜井家に仕えたという説〔『徳島県史』第3巻 P.9〕もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平島義寛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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