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足軽大将[あしがるたいしょう]
足軽大将(あしがるたいしょう)とは、日本の戦国時代に、戦国大名のもとで足軽隊を率いた部将及びその職のことをいう。足軽頭(あしがるがしら)ともいう。また、江戸時代には物頭(ものがしら)と称した藩もある〔『越後長岡藩』及び『長州藩』の項参照。〕。 応仁の乱以降、戦国時代にかけて合戦の集団戦化が進み、戦闘規模も大きくなった。訓練された槍・弓・鉄砲の足軽隊が組織され主力軍として活躍するようになった。足軽大将は配下である足軽小頭(足軽組頭)をはじめとする足軽を率いた。 == 戦国大名家の足軽大将 == 戦国大名家の各家には足軽に関係する文書が残されており、足軽大将の存在が確認される。 甲斐国の戦国大名である武田氏においては『甲陽軍鑑』品十七「武田法性院信玄公御代惣人数之事」においては武田信玄晩年期の家臣団の全容が記されているが、この中には「足軽大将衆」として21名が挙げられており〔「惣人数之事」において挙げられている武田氏の足軽大将には原虎胤、横田高松、小幡虎盛、山本勘助など。平山(2006)には一覧が掲載。〕、確実な文書上からも足軽を率いていた実態が確認されている。武田氏の足軽大将は甲斐出身者の甲斐衆と他国出身で武田氏に仕えた他国衆に大別され、甲斐衆の大半は奥近習や使番を務めた小身で、有力家臣の師弟や一族がほとんど含まれないことが指摘されている。一方、他国出身者は足軽大将に任命されている事例が多い一方で、武田家の行政・軍事機構における役職は甲斐衆によって独占され、他国出身者が登用されることは極めて限定的であったことが指摘されている〔武田氏の足軽・足軽大将については西川広平「山本勘助と足軽」上野晴朗・萩原三雄『山本勘助のすべて』、平山優『山本勘助』〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「足軽大将」の詳細全文を読む
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