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路 加奈子(みち かなこ、1943年11月8日 - )は、日本の女優、歌手である〔田中, p.85-86.〕〔キネ旬, p.645.〕〔''路加奈子''、''jlogos.com'', エア、2014年7月30日閲覧。〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年7月30日閲覧。〕〔''路加奈子''・''岩田レナ''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年7月30日閲覧。〕〔''路加奈子''・''岩田レナ''、日本映画情報システム、文化庁、2014年7月30日閲覧。〕〔''路加奈子''、日本映画製作者連盟、2014年7月30日閲覧。〕〔''路加奈子''・''岩田レナ''、KINENOTE, 2014年7月30日閲覧。〕〔''路加奈子''・''岩田レナ''、日本映画データベース、2014年7月30日閲覧。〕〔''Kanako Michi''、インターネット・ムービー・データベース 、2014年7月30日閲覧。〕〔''路加奈子''、テレビドラマデータベース、2014年7月30日閲覧。〕〔作品データベース検索サービス 検索結果、日本音楽著作権協会、2014年7月30日閲覧。〕。本名は岩田 レナ(いわた レナ)〔〔、初期には本名で出演した作品もある〔〔〔〔。1962年(昭和37年)に日活ニューフェースとして入社するも、1963年(昭和38年)末に『不倫のつぐない』(監督若松孝二)に主演して、独立系の成人映画界にデビューした〔〔。1964年(昭和39年)、主演に抜擢された『白日夢』(監督武智鉄二)で一世を風靡〔〔、谷崎潤一郎や澁澤龍彦が彼女を称賛したことで知られる〔谷崎, p.395.〕〔澁澤, p.383.〕、黎明期の成人映画界のスター女優である〔。「平沢貞通氏を救う会」会員としても知られた〔森川哲郎, p.431.〕〔平沢・森川, p.192.〕。 == 人物・来歴 == === 『白日夢』の時代 === 1943年(昭和18年)11月8日、神奈川県横浜市に生まれる〔〔。祖父がイタリア人という家系に生まれ、第二次世界大戦後はサンモール学院(現在のサンモール・インターナショナル・スクール)に進学する〔。 1962年(昭和37年)に同学院を卒業、その後、日活に入社する〔。『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)によれば、日活には「ニューフェイス」として入社したといい、「大部屋女優として映画に出演していた」という〔。同年の「ニューフェイス」であれば第六期、翌年であれば第七期にあたる。第四期ニューフェースであった久木登紀子が、路が入社する前年の1961年(昭和36年)8月16日に公開された『太陽は狂ってる』(監督舛田利雄)〔、2014年7月30日閲覧。〕〔、2014年7月30日閲覧。〕を最後に退社し、1962年2月27日には久木が香取環の名で主演した『』(監督小林悟、製作協立映画、配給大蔵映画)が公開されて、独立系の成人映画界にデビューしているが、1963年(昭和38年)には路も日活を退社し、同年12月31日に公開された『不倫のつぐない』(監督若松孝二、製作新映フィルム、配給日本シネマ)の主演に抜擢されて、路 加奈子の名で独立系の成人映画界にデビューした、とされる〔〔。同作には香取環が佐久間しのぶの名で出演しており、香取を主演とする資料もある〔〔〔、2014年7月30日閲覧。〕。同作の公開の半年前、大蔵映画が製作・配給した『怪談異人幽霊』に本名の岩田 レナで出演、主人公の一条美矢子の友人役を演じた記録が残っており、その翌年の1964年(昭和39年)5月16日に公開された、大蔵映画社長・大蔵貢の実弟である近江俊郎が監督した『この道赤信号』(配給大映)にも本名で出演した〔〔〔〔。『この道赤信号』公開の翌日17日には、ふたたび若松孝二監督による路の主演作『赤い犯行』が公開されている〔〔〔〔〔〔。 武智鉄二は『赤い犯行』における路を観て、自らの次回作『白日夢』の主演に抜擢することを決める〔山田, p.39.〕。同年6月、公開に先行し、同作の原作者・谷崎潤一郎が雑誌『マドモアゼル』六月号にエッセイ『路さんのこと』を寄稿〔〔細江, p.167, 455.〕〔小谷野, p.419.〕、京マチ子や春川ますみを好んだ谷崎は、路を指し「日本風の細面の美人より、ブリジッド・バルドーやマリリン・モンローのような、グラマーな女性の方が好き」と評した〔〔。新映倫(映画倫理管理委員会、現在の映画倫理委員会)を通過したうえで、同年6月21日、松竹が配給して成人映画として公開された〔〔〔〔。同31日には警視庁が同作中に「わいせつ罪にふれる部分がある」として、新映倫にカットを要請した〔〔毎日, p.749.〕。翌7月には、雑誌『シナリオ』7月号に同作の脚本と、谷崎の『「白日夢」の映画化について』が発表された〔。澁澤龍彦は、『デパートのなかの夢魔 - 「白日夢」のノスタルジアについて』において、「路加奈子は顔の表情には乏しいが、そのオブジェのような裸体は、若々しさにあふれていて、わたしたちの眼を存分に楽しませてくれる。とくに見るべきものは、乳房、-- というよりもむしろ、乳首であろう」と路を評した〔。いわゆる映画産業の斜陽化以降、松竹のような大手が製作配給本数を減らし、映画館では独立系の成人映画を上映する傾向があるなかで、同作のヒットは「ピンク映画ラッシュのひきがねとなった」とされる〔世相, p.126.〕。 『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、有川二郎、里見孝二、川部修詩、佐伯秀男とともに、路の名を挙げている〔。同年7月には、テイチク(現在のテイチクエンタテインメント)からシングル『私をきつく抱きしめて』を発表、歌手としてデビュー、映画『白日夢』をきっかけに同年9月、路は松竹に入社する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「路加奈子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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