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路子工(みちのこたくみ 生没年不詳)は、百済からの渡来人。本名不詳。日本書紀に登場する7世紀初頭の土木技術者。 ==概要== 日本書紀によれば、612年に御所に須弥山と唐風の呉橋(屋根、欄干つきの橋)がある庭を建設したことから、路子工と呼ばれるようになったという。当時の日本では、既に庭園建設も盛んに行われていたが、技術者として記録が残る人物としては日本最古である。その後、全国を回り当時の日本を代表する三河の矢引橋、水内の曲橋、木襲の梯橋、遠江の浜名橋、会津の闇川橋、兜岩の猿橋など180もの架橋に携わったとされる〔日本土木学会『日本土木史』1994年p1033〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「路子工」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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