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踞尾村(つくのむら)は、かつて和泉国・大阪府にあった村である。現在の堺市西区の一部に相当する。1960年(昭和35年)開業の津久野駅に採用されたことがきっかけとなり、1964年(昭和39年)には地名も「津久野」の表記に変更された。現在は氏神社の踞尾八幡神社などに「踞尾」の表記が残っている。 ==歴史== 踞尾の地名は、神功皇后が三韓との戦の際にこの地に立ち寄り、人々がひれ伏した(踞る<うずくまる>)という逸話に由来する。 * 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、大鳥郡上石津村、市村、踞尾村が合併して大鳥郡神石村となる。 * 1891年(明治24年)2月25日 神石村から分立して、大鳥郡踞尾村(町村制)となる。 * 1896年(明治29年)4月1日 泉北郡が成立。 * 1942年(昭和17年)7月1日 泉北郡浜寺町、鳳町、八田荘村、深井村、東百舌鳥村と共に堺市に編入される。 大阪市大正区の「泉尾」と言う地名は、「和泉国」の「踞尾村」出身の北村六右衛門が検地を主導したことが由来となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「踞尾村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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