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蹴上インクライン(けあげインクライン)は、京都市左京区にあった琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間をなす傾斜鉄道(インクライン)。 1891年(明治24年)から1948年(昭和23年)まで実用に供された。 == 概要 == 琵琶湖疏水は京都と大津間の船の輸送を用途の一つとしていたが、落差の大きい場所は船が運行できないので、台車に船を載せて上下させるインクラインで運行していた。 蹴上インクラインは蹴上船溜りと現在の琵琶湖疏水記念館前の南禅寺船溜りを結ぶ延長640メートル、敷地幅22メートル、勾配15分の1の路線で、運転用の巻き上げ機は蹴上発電所の電力で運転した。通過時間は10分から15分だった。 一般に運河の落差がある場所で船を通行させるには、ロック(閘門)方式、インクライン方式、リフト方式の三つがある。パナマ運河やイギリスのテムズ川と運河はロック方式になっている。船を水門と水門で区切った閘室に入れ、その閘室の水を排水したり増水したりして、船を低い方や高い方へ進める。インクライン方式は、勾配のある水路にレールを敷き、台車に船を載せて、ケーブルカーのようにケーブルで引っ張り上下させる。台車に直接船を載せるドライ式、水を入れたケージに船を入れてケージごと台車に載せるウェット式がある。蹴上インクラインは、ドライ式のインクライン方式を採用した。 昭和期に入ると、鉄道などの交通機関の影響で舟運の利用は大きく減少し、太平洋戦争後の1948年(昭和23年)11月26日に運行を休止した。1960年(昭和35年)3月をもって電気設備も撤去され、完全に稼働を停止する。1973年(昭和48年)以降、送水管を敷設するため残っていたレールも撤去されたが、産業遺産として保存するために復元されることになり、1977年(昭和52年)5月に完成した。現場には復元された台車が2台(坂の途中と、蹴上船溜り)残されている。1996年(平成8年)には国の史跡に指定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蹴上インクライン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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