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車谷 長吉(くるまたに ちょうきつ、1945年7月1日 - 2015年5月17日)は日本の作家、随筆家、俳人。本名、車谷 嘉彦(くるまたに よしひこ)。兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)出身。筆名の「長吉」は唐代の詩人李賀にちなむ。妻は詩人の高橋順子〔。 かつては「反時代的毒虫」としての「私小説作家」を標榜しており、播州地方の方言を使った民衆言語で下層民の泥臭さを執拗に描き、近代と自己に疑問を投げかけるような苛烈な私小説において評価を受けた。 ==人物と作風== 姫路市立飾磨高等学校、慶應義塾大学文学部独文科卒業(卒論はフランツ・カフカ論)〔車谷長吉(クルマタニチョウキツ)とは - コトバンク 〕。県下一の進学校(兵庫県立姫路西高等学校)を目指しての高校受験に失敗したことで強烈な上昇志向を育む。高校3年で文学に目覚め、慶大卒業後も広告代理店や出版社に勤務する傍ら、三島由紀夫の自殺に触発されて私小説を書き始め、処女作『なんまんだあ絵』(1972年、『鹽壺の匙』所収)で新潮新人賞の候補となる。しかし次第に小説を書くことに行き詰まり(後年になってそれまでの自作には迷いがあったと語る)、会社員を辞して故郷へ戻る。以後、30歳からの8年間は、旅館の下足番や料理人として、神戸、西宮、曽根崎、尼崎、三宮などのたこ部屋を転々と漂流する、住所不定の生活を送っていた。しかし、担当編集者からの強い呼びかけもあり、再び東京へ行き作家として再デビューを果たす。白洲正子、江藤淳らに高く評価された。 1993年に『鹽壺の匙』で第43回芸術選奨文部大臣新人賞(平成4年度)と第6回三島由紀夫賞を合わせて受賞。1997年に『漂流物』で第25回平林たい子文学賞受賞、表題作は第113回芥川賞候補にもなった。 『赤目四十八瀧心中未遂』で第119回(1998年上半期)直木賞を受賞〔。同作は2003年に映画化され、特に評価が高い。一方で、伊藤整との文学観の違いから、同作による1998年の伊藤整文学賞の小説部門の受賞を拒否している〔。2001年に「武蔵丸」(『白痴群』所収)で第27回川端康成文学賞受賞〔。 俳人として句集も出している。 2004年4月、『新潮』(2004年1月号)掲載の私小説「刑務所の裏」で事実と異なることを描かれ名誉を傷つけられたとして俳人の齋藤愼爾に提訴され、同年12月に齋藤の申し立てをのみ和解、これにより「私小説作家」としての廃業を宣言した。以降、史伝小説や掌編小説、聞き書き小説などに創作の軸を移した。 2010年、新書館より『車谷長吉全集』全三巻が刊行された。 2015年5月17日、誤嚥による窒息のため死去〔直木賞作家の車谷長吉さんが死去 読売新聞 2015年5月18日閲覧〕。69歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「車谷長吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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