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転びキリシタン[ころびきりしたん] 転びキリシタン(ころびキリシタン)は、江戸時代に拷問や迫害によって棄教したキリシタン(吉利支丹)のことである。また、宣教師などの宗教指導者の場合には転びバテレンと言った。関連して、キリシタンが棄教することを「転ぶ」と言う。 == 概要 ==
1612年(慶長17年)及び翌1613年(慶長18年)に、江戸幕府はキリスト教に対する禁教令を出し、以後、江戸時代を通してキリスト教徒は弾圧・迫害された。幕府は、キリシタンに対して主に強制改宗策を取り、そのための様々な拷問を考案・実行した。拷問に耐えかねて棄教した者は多かったが、そのまま死亡(殉教)した者も多かった。 「転びキリシタン」の由来は京都所司代の板倉氏が彼らを棄教させるために考案したという拷問「俵責め」といわれる。これは俵に押し込めて首だけ出させ、それを転がしたり、山積みにして鞭打ったりしたというもので、この時、責め苦に耐えられず俵から"転がり出て"棄教したのでそう呼ばれるようになったといわれる。また『通航一覧』には『島原記』からの引用という形で1614年(慶長19年)に幕命を受けた大久保忠隣が、京都のキリシタンに俵責めを行い、その際に「ころべ、ころべ」と言ったことが由来とされている。 また、再び信仰を取り戻すことは「立ち上がる」「立ちかえる」と言った。 なお、転びキリシタンとは、あくまで1612年(慶長17年)の江戸幕府による禁教令以後の政策(拷問や迫害)によって棄教した者を指し、それ以前の者には特に使用されない。例えば、1587年(天正15年)の豊臣秀吉によるバテレン追放令で自主的に棄教した黒田孝高は当然、禁教令の直前で自主的に棄教した有馬直純も特に転びキリシタンとは呼ばれない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「転びキリシタン」の詳細全文を読む
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