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辛島 啓珠(からしま けいじゅ、1971年6月24日 - )は、京都府京都市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック〔『ガンバ大阪20年史』 ベースボール・マガジン社、2011年、42頁。ISBN 4583617909〕)。祖父は第6代日本サッカー協会会長の藤田静夫。日本サッカー協会公認S級コーチライセンス保有。 == 来歴 == 京都府立山城高等学校から筑波大学を経て、1994年に大学の同期でセンターバックでコンビを組んだ木山隆之とともにガンバ大阪に入団。現役時代は頭脳派のセンターバックとして活躍した。1年目からレギュラーの座を獲得して42試合に出場し、木山と共に弱点であったDF陣の即戦力として活躍するも、その後は度重なる負傷により出場機会が減った。1997年および1998年はアビスパ福岡、1998年10月からは京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)、2000年からは水戸ホーリーホックでプレーして2001年9月に現役引退。 同年10月に柏レイソル青梅(現:アーゼット'86 東京青梅)ユースの監督に就任。3シーズン務めた後、フランスへの指導者留学を経て、松本山雅FC監督、FC岐阜コーチを歴任。2009年にJAPANサッカーカレッジのコーチ、2010年から2012年までJSCの監督に就任。 2013年、FC岐阜のアシスタントコーチに就任。同年8月19日、行徳浩二の解任に伴い、監督に就任。シーズン終了後、契約非更新により退任。 2014年、佐川印刷京都の監督に就任。シーズン終了後に退任する。 2015年からはSC相模原の監督に就任。同年11月2日に辞任した。 2016年からはアルビレックス新潟レディースの監督に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「辛島啓珠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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