翻訳と辞書
Words near each other
・ 辛毘
・ 辛気
・ 辛気臭い
・ 辛泳録
・ 辛淑玉
・ 辛滬光
・ 辛炫周
・ 辛炯ミン
・ 辛炯珉
・ 辛炳圭
辛珍之
・ 辛皮駅
・ 辛目
・ 辛知勳
・ 辛祥
・ 辛禑
・ 辛禑 (高麗王)
・ 辛稼軒
・ 辛紹先
・ 辛美沙


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

辛珍之 : ウィキペディア日本語版
辛珍之[しん ちんし]
辛珍之(しん ちんし、生没年不詳)は、北魏末から東魏にかけての官僚本貫隴西郡狄道県
== 経歴 ==
はじめ太尉鎧曹行参軍となった。次いで中堅将軍・司徒録事参軍・広州大中正に転じたが、喪に服すため官を辞職した。ほどなく汝北郡太守として再起した。永安年間、司空諮議参軍・通直散騎常侍となった。永熙年間、襄城郡太守として出向した。
534年天平元年)、大使となり、広洛二州の慰撫につとめた。536年(天平3年)、征東将軍の号を受け、行陽平郡事をつとめた。郡民の路黒奴に反乱を起こされ、郡治を攻め落とされて、その捕虜となった。右衛将軍の郭瓊が路黒奴の乱を鎮圧すると、珍之は解放された。
興和年間、衛将軍・司徒司馬となった。545年武定3年)、驃騎将軍北海郡太守に転じた。に召還されて、儀同開府長史・兼光禄少卿となった。ほどなく使持節・広洛北荊揚雍襄六州慰労大使・北荊鎮城・行広州事として出向した。行平州を命じられて、在官のまま死去した。驃騎大将軍・洛州刺史の位を追贈された。は恭といった。
子に辛懿があり、武定末年に開府鎧曹参軍となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「辛珍之」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.