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辜寬敏(グー・クアンミン、こ かんびん、1926年10月15日 - )は台湾の実業家、台湾独立運動家。中華民国総統府資政。異母兄は辜振甫(台湾の財界人、海峡交流基金会董事長)。 息子にリチャード・クー(エコノミスト)。 1947年、二二八事件が発生すると日本に逃れ、台湾独立建国聯盟を結成し、台湾独立運動団体である台湾青年会の委員長を務めたが、1972年に事実上の中華民国指導者であった蒋経国の求めに応じ帰国対談したことにより台湾独立建国聯盟日本本部により除名処分を下されている。また文化事業へも積極的に関与し、『台湾春秋』、『日本文摘』、『黒白新聞週刊』等の雑誌を経営、日本での台湾独立系雑誌である『台湾青年』にも出資している。 政治活動としては2000年4月に台湾独立建国聯盟の名義で『ワシントン・ポスト』に自費での意見広告を掲載し、台湾での政権交代が実現した後の台湾独立を主張、翌年11月には『ニューヨーク・タイムズ』に一つの中国政策への批判などを掲載している。2006年10月15日、陳水扁など民主進歩党関係者による米寿祝宴の席上で誕生日プレゼントに正名、憲法制定、台湾政権の継続を要望し、また「第二共和憲法」の概念を発表するなど、台湾独立派としてなお活動している。 == 外部リンク == * 中華民国総統府:資政辜寬敏先生 * 鄒景雯:『星期人物』辜寬敏 反対運動老頑童 * 辜寬敏:建立一個我們自己的国家:1996年元旦感言 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「辜寛敏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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