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辜 振甫(こ・しんぽ)は、中華民国(台湾)の財界人、台湾の対中交渉窓口機関・海峡交流基金会の初代理事長。祖籍は福建省恵安県、字は公亮、台湾の五大家族といわれる名家出身。 1941年(昭和16年)、台北帝国大学法学部卒業後、東京帝国大学でビジネス管理などを学ぶ。終戦後は台湾に戻り、国民政府の土地改革などに協力、土地の供出の見返りとして得た台湾セメントなどの事業で、父・辜顕栄から引き継いだ事業を発展させた。台湾証券取引所初代理事長なども務め、台湾財界の巨頭となった。 1982年(民国71年)、蒋経国政権で中国国民党中央常務委員となり、1990年(民国79年)には海峡交流基金会の初代理事長に就任、対中交渉役のトップとなった。1993年(民国82年)、海峡両岸関係協会の汪道涵会長とシンガポールで初のトップ会談を実現。1998年(民国88年)にも上海で汪会長と再び会談し、北京で江沢民中国共産党総書記とも対面した。李登輝政権で長く総統府資政(顧問)を務め、総統特使として3回、APECに参加するなど、1990年代、台湾の重要な政策決定の中核に常にいた人物である。 辜振甫は京劇の大ファンで、自ら演じることもあった。とくに好んだのは諸葛亮の役で「借東風」や「空城計」などの諸葛亮をしばしば演じた。1998年(民国87年)には日本で公演している。 日台国交断絶後の両国窓口機関設置に関与するなど(亜東関係協会常務監事)、日本の政財界とのパイプも極めて太く、晩年には早稲田大学から名誉博士号が授与され、同大学内庭園に辜氏の名前が付けられたという。 2005年(民国94年)2月2日、台湾政府は国父記念館で追悼式を挙行した。陳水扁総統が「台湾の社会が最も尊敬した人物」と最大級の賛辞を送り、故人の国家への貢献を称える「褒揚令」が読み上げられた。中国側からは、汪・海協会会長の個人代理として、同協会の孫亜夫副会長(兼国務院台湾事務弁公室副主任)と李亜飛秘書長が弔問のため訪台した。日本側からも日華議員懇談会会長の平沼赳夫元経済産業大臣、財団法人交流協会会長、日本経団連事務総長ら、政・財・学の各界要人50人余が参列した。 ==親族== *辜寛敏:異母弟(台湾独立運動家)。 *リチャード・クー:辜朝明といい辜寛敏の子で甥にあたる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「辜振甫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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