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辰野 登恵子(たつの とえこ、1950年1月13日〔『日本美術家事典 2003年度版』(構成執筆・藤森耕英、日本美術家事典社、2003年3月)〕 - 2014年9月29日)は、日本の画家、版画家。多摩美術大学教授。 == 来歴 == 長野県岡谷市に生まれる。1968年、長野県諏訪二葉高等学校を卒業。同年、東京芸術大学美術学部に入学。大学時代に柴田敏雄(写真家)や鎌谷伸一(版画家)とともにグループ「コスモス・ファクトリー」を結成。名前は、彼らが好きだったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『Cosmo's Factory』(1970年)からとられた〔インタヴュー 辰野登恵子×岡部あおみ Culture Power〕。アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグの影響を受けた写真製版によるシルクスクリーンをいち早く試みる〔国立新美術館開館5周年 与えられた形象―辰野登恵子/柴田敏雄 国立新美術館公式サイト〕。1970年、村松画廊で初めての展覧会を開催〔。1972年、同大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。1974年、同大学大学院修士課程を修了。 1974年から1975年まで、同大学美術学部版画科の助手を務めた〔辰野登恵子 data Culture Power〕。 1996年、第46回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。 2003年、多摩美術大学客員教授となる。2004年、同大学教授となる〔BIOGRAPHY 辰野登恵子ホームページ〕。 2013年1月1日、第54回毎日芸術賞を受賞。 2014年9月29日、転移性肝癌のため死去〔訃報:辰野登恵子さん64歳=画家、多摩美術大教授 毎日新聞 2014年9月29日〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「辰野登恵子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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