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農道空港 : ウィキペディア日本語版
農道離着陸場[のうどうりちゃくりくじょう]

農道離着陸場(のうどうりちゃくりくじょう)とは、1988年(昭和63年)に始まった農林水産省の農道離着陸場整備事業により、農道を拡幅してつくった空港の一種。別名、農道空港とも呼ばれる。空港種別では場外離着陸場に分類される。
農道離着陸場整備事業は、1998年(平成10年)に事業廃止〔“官に問う 「フライト農業」事業廃止10年 野菜の飛ばない「農道空港」 甘い見通し バブル農政象徴”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年6月24日)〕。現在までに8か所が建設された。
== 建設の背景と経緯 ==
農道の機能拡充を模索する中で、小型飛行機により付加価値の高い農産物空輸する事で地域の農業振興をはかる目的で作られた。
ゆくゆくは旅客輸送まで視野に入れた計画であったといわれる。
当初から輸送コストが高い、建設・維持費など考えると黒字化はとても無理、旅客化は運輸省(当時)の空港建設計画と重複し無意味などと批判が強かった。
しかし、バブル期で経済規模が拡大している時代でもあり、地方自治体や農水省は結果的に実態とかけ離れた需要予測を元に建設を推進した。
1989年(平成元年)5月美唄市茶志内町3区の空知中核工業団地内に仮設の滑走路を開設して、同年6月2日チャーター機仙台空港との間で輸送実験が行われた〔““離陸”近し農道空港-美唄で2日、初の産直空輸。仙台にアスパラ、滑走路を仮設、2時間でひとっ飛び”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年5月30日)〕。
実験的な運航の初期の同年6月20日には早くも空荷で離陸する便が生じるなど実験段階から問題が表面化していたが、自治体側などの推進姿勢が変わることはなかった〔“美唄 「農道空港」目指すが 宙に浮く産直空輸”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年7月3日)〕。
こうした実際に農産物を空輸する実験は同年7月に女満別空港を経由する形で北見市でも行われている〔“北見産ホウレンソウ 東京向け輸送テスト 女満別-新千歳経由で 農道空港構想”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年7月27日)〕。
1991年(平成3年)8月に新得町農道離着陸場の1次舗装が完成したため〔“1次舗装が終わった農道空港”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1991年8月30日)〕、翌月9月2日にチャーター機で仙台空港との間で輸送実験が行われた〔“農業空港、新鮮な豆を空輸-新得~仙台、3時間半の試験飛行。92年6月以降、実用化”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1991年9月2日)〕。
1991年(平成3年)10月岡山県笠岡市に笠岡地区農道離着陸場(笠岡ふれあい空港)が建設。
1992年(平成4年)4月に豊肥地区農道離着陸場(大分県央飛行場)、同年7月17日には新得町農道離着陸場(北海道)が〔“フライト農業の第1便、農道空港開港。生花900本、仙台へ-新得”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1992年7月17日)〕、1995年(平成7年)6月に飛騨農道離着陸場(飛騨エアパーク:岐阜県)、1997年(平成9年)10月10日に美唄市農道離着陸場(北海道)〔“美唄の農道空港が完成 第1便10日に函館へ 積みかえて仙台に空輸 東北市場へ軟白長ネギ 新規開拓を目指す”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年10月3日)〕、同年10月13日に北見市農道離着陸場(北海道)〔“きのう今日あす 地方版から”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年10月14日)〕、同年10月に余市農道離着陸場(アップルポート余市:北海道)が各々正式に開業し、
1998年(平成10年)4月に農道離着陸場整備事業で最後となる福島市農道離着陸場(福島スカイパーク:福島県)が正式に開業した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「農道離着陸場」の詳細全文を読む



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