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辺令誠 : ウィキペディア日本語版
辺令誠[へんれいせい]
辺令誠(へんれいせい、生年不詳 - 至徳元年(756年))は中国代の宦官高仙芝の監軍となり一度はその危機を救ったが、最後には死に至らしめた。
== 経歴 ==
新旧唐書『高力士伝』において、玄宗の重用した宦官の一人にその名前が見える。天宝6載(747年)、高仙芝の監軍として小勃律討伐に従軍し、連雲堡を弱兵3千人と守る。勝利後、長安に勝報を送った高仙芝が、安西節度使夫蒙霊詧に勝手に送ったことをとがめられた。この時、高仙芝を弁護する上奏文を玄宗を送った。このため、夫蒙霊詧に代わって高仙芝が安西四鎮節度使となった。
天宝14載(755年)、安史の乱が勃発。高仙芝が封常清とともに潼関にて安禄山側の軍と対峙した時、再び監軍として従軍した。軍に口出しするも高仙芝に取り上げられなかったため、玄宗に高仙芝を讒言したと伝えられる。高仙芝・封常清両名の処刑の勅命が下り、辺令誠の手によって、封常清、高仙芝と続けて処刑された。
この後の詳細は不明だが、高仙芝の後任・哥舒翰の監軍は李大宜であるため、高仙芝の死後に長安に帰還したと考えられる。哥舒翰の敗北後、玄宗は長安を出奔した、辺令誠は中官将軍として長安に残る。暴徒を数十人殺して長安の治安を守ったが、安禄山側に降伏した。
至德元年(756年)に即位をした粛宗のもとに来訪したが、粛宗に斬られた〔正史の記述では、動機がはっきりしない人物であり、この時代を扱った小説ではさまざまな推測がされている。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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