翻訳と辞書 |
バイロイト辺境伯歌劇場[ばいろいとへんきょうはくかげきじょう]
バイロイト辺境伯歌劇場(バイロイトへんきょうはくかげきじょう)ないし辺境伯歌劇場 () は、ドイツ・バイエルン州の都市バイロイトにある18世紀に建てられた歌劇場である。バロック様式の傑出した美しさを持つ歌劇場というだけでなく、当時の要素のほとんどがそのまま伝わっている稀有な例として、2012年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。また、リヒャルト・ワーグナーが自らの祝祭劇場をバイロイトの地に建てるきっかけとなった歌劇場でもある。 == 概要 ==
この歌劇場は、プロイセンのフリードリヒ大王の姉にして、ブランデンブルク=バイロイト辺境伯フリードリヒ3世_の妻であったヴィルヘルミーネの希望で建てられた。工事は1745年〔1745年とするのはに従ったものだが、では1746年としている。〕に始まり、一応の完成は1748年、外観がきちんと整ったのは1750年のことであった〔。完成を待たずに、1747年にヴィルヘルミーネの娘の結婚を祝って、こけら落としが行われている。 歌劇場は間口30.8 m、奥行き71.5 m、高さ26.2 m で〔、当時のドイツでは最大規模の歌劇場であった〔。外観を手がけたのは、内装を手がけたのはである〔。現在では「現存するバロック様式の劇場としては最も美しいもののひとつ」〔『ワーグナー事典』東京書籍、p.272より引用。〕、「ヨーロッパで最も美しいバロック劇場のひとつ」〔より引用。〕などと評価されている。 完成から100年以上を経たころ、それは百科事典にも掲載されており、その記述がリヒャルト・ワーグナーの目に留まった〔〔『ワーグナー事典』東京書籍、p.272〕。ワーグナーはかねてより、自作のオペラ『ニーベルングの指環』を上演するのにふさわしい歌劇場を求めており、辺境伯歌劇場がその要求を満たすのではないかと考えたのである。1871年4月16日に、妻のコジマを伴ってバイロイトを訪問したワーグナーは、辺境伯歌劇場が自身の希望を満たすものでないことを認識したが、これが翌年、バイロイトに腰を落ち着け、自身の祝祭劇場を建設するきっかけとなった〔。現在のバイロイトは、そのワーグナーのバイロイト祝祭劇場およびそこで毎年夏に挙行されるバイロイト音楽祭で国際的に知られるようになっているが〔「バイロイト」『コンサイス外国地名事典』第3版、三省堂、1998年、p.713〕、辺境伯歌劇場でも毎年春に祭典が行われるなど、現役の歌劇場として利用されている〔。 2010年から改修工事のため閉館されており、2016年頃の再開が予定されている。閉館中も世界遺産関連の展示が行われている入口ホールまでは入館が可能である〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バイロイト辺境伯歌劇場」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|