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辺川 忠直(へがわ ただなお、? - 大永6年(1526年)12月)は戦国時代の薩摩国の武将。島津氏の分家川上氏の庶流。父は川上忠貴。官位は筑前守。 祖は川上氏3代当主川上家久の三男川上忠村で、その子である忠貴の子として誕生する。明応4年(1495年)に帖佐(現・鹿児島県姶良市帖佐)の地頭となり、辺川村を領したことから辺川氏を名乗った。 大永6年(1526年)12月、守護職を簒奪しようと企てる薩州島津家5代当主島津実久に与して、島津宗家に叛いた。宗家14代当主の島津勝久はこれに対し、自らの養嗣子である貴久の実父伊作忠良(島津忠良)へ忠直の討伐を命じる。忠直は帖佐の本城と新城にて籠城するも悉く城を落とされ、男女500余名ともども討ち死にした。 子孫に川上七郎左衛門という者があり、子孫は存命し川上氏に復姓した模様。 == 参考文献 == *『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会) *稲葉行雄 『「さつま」歴史人名集』(高城書房出版 1991年)ISBN 4-924752-28-2 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「辺川忠直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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