翻訳と辞書
Words near each other
・ 辻久子
・ 辻之坊
・ 辻二郎
・ 辻二郎 (機械工学者)
・ 辻井タカヒロ
・ 辻井伸行
・ 辻井南青紀
・ 辻井啓伺
・ 辻井啓嗣
・ 辻井喬
辻井康一
・ 辻井弘
・ 辻井昭雄
・ 辻井木材
・ 辻井正
・ 辻井正次
・ 辻井潔
・ 辻井潤一
・ 辻井美穂
・ 辻井薫


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

辻井康一 : ウィキペディア日本語版
辻井康一[つじい こういち]

辻井 康一(つじい やすかず〔辻井康一、日本映画監督協会、2009年5月8日閲覧。〕、1932年4月5日 - )は、日本の映画監督である。宝塚映画製作所(現在の宝塚映像)の社員監督として、テレビ映画をおもに撮ったことで知られる。〔辻井康一、キネマ旬報映画データベース、2010年11月8日閲覧。〕。
== 人物・来歴 ==
1932年(昭和7年)4月5日大阪府中河内郡孔舎衙村(くさかむら、現在の同府東大阪市日下町)に生まれる〔〔。
1956年(昭和31年)、東京の早稲田大学法学部を卒業、関西に戻り、26歳になる1958年(昭和33年)、宝塚映画製作所に入社、久松静児岡本喜八両監督に師事した〔。
1968年(昭和43年)、助監督経験を積み重ね、36歳のときに、のちにスキーヤーのバイブルと呼ばれる教育映画スキー場は戦場ではない』で監督としてデビューした〔。その後、よみうりテレビから宝塚映画が受注するテレビ映画『マキちゃん日記』等を監督する。1972年(昭和47年)からは、関西テレビの「阪急ドラマシリーズ」を多く手がけた。また、同社が熊井啓を監督に劇場用映画『お吟さま』を製作した際には、監督補をつとめ、同作は1978年(昭和53年)6月3日に公開された。
1983年(昭和58年)9月、51歳のとき、宝塚映画の経営不振による解散の際、新会社「宝塚映像」に残らず、フリーランスの映画監督となった〔。日本映画監督協会会員である〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「辻井康一」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.