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辻本 賢人(つじもと けんと、1989年1月6日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(投手)。NPBに在籍経験をもつ選手としては2012年シーズン終了時点で唯一の「昭和64年」生まれ〔1989年1月8日からは「平成元年」になるので、1月1日から1月7日までに生まれた者が「昭和64年」となる。〕である。 == 来歴・人物 == 父はザ・リアルマッコイズ代表取締役社長。箕面自由学園高等学校時代は、アメリカンフットボールのエースクォーターバックだった。母方の祖母はドイツ人で、本人はクオーターである。 ボーイズリーグの兵庫尼崎ではダルビッシュ有と何度も投げ合い、エースとしてジャイアンツカップ全国少年野球大会3位入賞を果たした。 中学1年時に単身アメリカに渡り、ネブラスカ州オマハのチーム「ペースセッター」で全米大会出場。元読売ジャイアンツのクライド・ライトが投球を見て「この子は本当に14歳なのか」と驚いたという。 8月にカリフォルニア州のマタデーハイスクールで日本の義務教育に当たる9年生課程修了。同年秋のドラフトで、阪神タイガースに8巡目で指名され入団。15歳での指名はドラフト史上最年少だった。 初入寮時、タイガーがインストールされたiMac G5を持って入寮するニュース映像が流された。 はウエスタン・リーグで5試合に登板したが、は身体作りなどの基礎固めに専念させる首脳陣の意向で実戦登板の機会はなかった。 同学年の選手が高卒でプロ入りしたは二軍で9試合に登板し、防御率3.24を記録。 は二軍で11試合に登板して防御率3.65. 同年オフに保留選手名簿から外れて育成選手契約となった。 はキャンプ前に第5腰椎を疲労骨折したこともあって二軍でも登板機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告を受け、10月30日自由契約公示された。合同トライアウトではスカウト陣から「球が遅すぎる」「フォームがバラバラ」など厳しい指摘を受けた。 4月、アメリカの独立リーグ・ゴールデンベースボールリーグのトライアウトに参加し、阪神時代を超える最速146km/hを記録。同リーグのマウイ・イカイカからドラフト1位指名を受け入団した。同年のシーズンでは、腕の位置をサイドスロー気味に下げたフォームに変えたことで、球速が94mph(約151km/h)までアップし、主に中継ぎ投手としてプレーした。シーズン後半では、勝ち試合で起用されるようになった。 2月7日、ニューヨーク・メッツからマイナー契約のオファーがあったと報道され、3月3日にメッツとマイナー契約を結んだ。 5月、ニューヨーク・メッツを解雇された〔MLB公式サイト - Kent Tsujimoto PStatus: Released 〕。 投球フォームは元チームメイトの下柳剛の右投手版と言われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「辻本賢人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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