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近世における世界の一体化 : ウィキペディア日本語版
近世における世界の一体化[きんせいにおけるせかいのいったいか]

近世における世界の一体化では、16世紀から17世紀にかけての世界が一体化する過程について言及する。16世紀には、ユーラシア大陸では東からサファヴィー朝オスマン帝国の3つの帝国が鼎立しており、インド亜大陸ではバーブルによるムガル帝国の建国(1526年)、さらに、ロシアではモスクワ大公国が、ドイツではハプスブルク家がそれぞれの地域で台頭し始めていた時期であった。
一方、早期にレコンキスタを終了させていたポルトガルを皮切りに、西ヨーロッパ諸国は、次々と大西洋へと乗り出していった。1492年コロンブスサン・サルバドル島到達、1498年のヴァスコ・ダ・ガマ喜望峰到達は、これまでの貿易構造を大きく変化させる原因となった。
== ユーラシア大陸の繁栄 ==

ユーラシア大陸16世紀は活気に満ちた時代だった。
東アジアではが国際秩序の中心にあり、前世紀に比べれば翳りがみられるものの経済も繁栄し、朝鮮王国琉球王国は明の冊封体制下で政治的安定をみていた。日本では織田信長豊臣秀吉によって国内の統一が進展。北ユーラシアでは、イヴァン4世(雷帝)が「全ロシアのツァーリ(皇帝)」を称して、モスクワ大公国からロシア帝国へと脱皮した。
南アジアムガル朝イラン高原を本拠とするサファヴィー朝アナトリア西部に誕生したオスマン帝国は、いずれもトルコ系遊牧騎馬民の軍事力を背景にして建国し、土着化し、勢力を伸ばしたイスラーム王朝であり、それぞれ政治的に安定し、文化が栄え、その首都は繁栄した。そこにはまた、それぞれの豊かな物産を求めて多くの外国商人も訪れていた。なかでもオスマン帝国は、1453年、千年以上続き難攻不落とされた東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(イスタンブル)を陥落させたのち急速に領土を拡大した。スレイマン1世治下の1529年にはハンガリー平原をこえてウィーンを包囲し、その晩年には西アジア北アフリカバルカン半島にまたがる大帝国となって、ヨーロッパキリスト教世界に恐怖をあたえた。その一方、スレイマン1世は1536年フランスフランソワ1世に恩恵としてカピチュレーションを与えた。オスマン帝国は1579年、エリザベス1世治下のイングランドにもカピチュレーションを与えている。
ルネサンスの時代をむかえていたヨーロッパは、繁栄するアジアに豊かな物産を求め、地中海域の東半を支配したオスマン帝国をさけて大西洋に新しい航路を求めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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