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近露王子[ちかつゆおうじ]
近露王子(ちかつゆおうじ)は和歌山県田辺市中辺路町の神社旧址。九十九王子のひとつ。国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日指定)の一部である。 == 概要 == 大阪本王子から箸折峠を越えて山を下り、日置川に架かる北野橋のすぐ左手にある。この王子は、九十九王子の中でも最も早い時期から現れたもののひとつであり、永保元年(1081年)の藤原為房の参詣記に「近湯」の地名が初見され、天仁2年(1109年)の藤原宗忠の参詣記には10月14日の条で、川で禊ぎをした後、「近津湯王子」に奉幣したとの記述がある。「ちかつゆ」という地名は、花山天皇の熊野詣のとき、現在の箸折峠で食事をしようとして箸がなかったので、萱の茎を折って箸にし(箸折)、そこからしたたり落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来すると伝えられる。 現在の「近露」の表記の初出は、承安4年(1174年)の藤原経房の参詣記で、建仁元年(1201年)の藤原定家の参詣記『熊野道之間愚記』にも同様の表記で言及があり、近露についで歌会が開かれたとある。同様に、承元4年(1210年)の藤原頼資による修明門院参詣記の4月29日の条でも、宿所に着いてから禊を行い、翌日に王子に参拝している。 このように、近露では宿泊・潔斎をする例が多く見られる。仁和寺蔵の『熊野縁起』にも、「近露の水は現世の不浄を祓う」とあり、参詣に備えて身を清浄にする霊場となっていたことが分かる。近露は田辺と本宮のほぼ中間に位置する中辺路の要所・宿場として早くから発達し、近世になってからも宿駅として栄えた。特に、北野橋を渡って王子の前あたりから200mほどの区域は道中(どうちゅう)と呼ばれ、多くの旅籠が軒を連ねた。 『紀伊続風土記』には若一王子権現社と呼ばれ、木製の御神体が安置されていると伝えられている。明治期には王子神社と呼ばれ、末年には金毘羅神社(現・近野神社)に合祀廃絶された。この際、周囲の森も伐りはらわれ、現在では、数本の巨木の株に、わずかに面影がとどめられている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近露王子」の詳細全文を読む
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