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本項では、通信社の歴史(つうしんしゃのれきし)を概観する。 国家を代表する通信社の栄枯盛衰は往々にして、その社が属する国家のそれと軌を一にしている。即ち、国家の勢力圏の拡大は通信社の販路の拡大に直結するものであり、通信社の配信する記事の増大は国家の発言力の増大を意味する。国営通信社にその傾向が顕著であることはもちろんであるが、その他の通信社も、多かれ少なかれ同様の性格を帯びている。フランスのアヴァスや日本の同盟通信社は、国家の降伏直後に解散。対してアメリカのAPは、第一次世界大戦後の国家の隆盛と歩調を合わせて伸長し、世界最大の通信社として躍り出た。 通信社はその業務の性格上、膨大な資金力を必要とする。殊に営利組織の場合、一般ニュースの配信のみで経営を維持するのは困難であり、資力に乏しい社は次々と淘汰された。それは、熾烈な競争を勝ち残ってきたロイターについても同様である。かつて栄華を誇った同社の一般ニュース部門は、1960年代には不採算部門の烙印を押され、一時は売却すら検討された。対して経済通信部門は隆盛を極め、同社の売り上げの大半を占めるまでに成長した。ロイターの事業規模は、一般ニュース部門ではAPの後塵を拝しているものの、社全体ではAPのおよそ10倍に達している。今や、経済・金融情報分野の勢力図に目を向けることなくしては、この業界の全貌を知ることはできなくなっている。 ==世界の通信社史== ===黎明期=== ニュースをいかに迅速に提供するかということは、通信社に求められる大きな資質である。19世紀以降に進んだ電気通信網の整備は、通信社の発展に大いに貢献した。いち早く産業革命を達成したヨーロッパからは、相次いで有力通信社が出現した。 1835年、ユダヤ系フランス人シャルル=ルイ・アヴァス(:fr:Charles-Louis Havas、1783年 - 1858年)が、近代的通信社の先駆であるアヴァス通信社 (Agence Havas) をパリで創業した。遡ること10年、1825年に通信事務所を作ったアヴァスは、主要国の首都に配置した通信員から送られる株式・商品市場などのニュースを翻訳・編集して購読者に配布した。アヴァスは1848年、ヨーロッパ各国の首都を伝書鳩によって結ぶという画期的な方法を採用した。当時の鉄道に比べると伝書鳩の方が効率が良く、アヴァスのニュースの速さに注目した新聞社は、こぞってアヴァスを購読するようになった。 14年後の1849年、ユダヤ系ドイツ人で元アヴァス社員のベルンハルト・ヴォルフ(Bernhard Wolff、1811年 - 1879年)がベルリンでヴォルフ電報局 (Wolffs Telegraphisches Bureau) を創業した。ヴォルフは1848年、ベルリンの新聞「ナツィオナール・ツァイトゥング (National-Zeitung) 」の経営に参画した。このときヴォルフは、取材費と通信費が社にとって大きな負担になっていることを知り、これを軽減するため、銀行や新聞社に相場の情報を配信することを考えた。このころ敷設された電信線が民間に解放されることが決定すると、ヴォルフはこれを利用したニュース配信に乗り出した。 1851年には、やはりユダヤ系ドイツ人で元アヴァス社員のポール・ジュリアス・ロイター(Paul Julius Reuter、1816年 - 1899年)が、ロンドンでロイター (Reuters) を創業した。1849年に独立したロイターは、ドイツで興した通信社がヴォルフに駆逐されたのち、イギリスに渡って株式市況を速報する事業を始めた。国内外に張り巡らした電信網の使用を政府から許可されたロイターは、ニュース配信の他に、個人や企業に向けた電信事業を広く展開した。 これら3社は同業他社を圧倒する勢力を保持し、19世紀の世界における3大通信社と称された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「通信社の歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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