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連合国救済復興機関(れんごうこくきゅうさいふっこうきかん、United Nations Relief and Rehabilitation Administration)とは、第二次世界大戦中に枢軸国による侵略を受けた諸国に対する救済援助を目的として、1943年に設立された機関である。略称はUNRRA(アンラ)。 加盟国は約37億ドルを活動資金として負担し、その7割以上をアメリカ合衆国が拠出したが、援助物資の横領や贈収賄が横行して批判を浴びた。また、東欧諸国への援助が多く実施されたことに米国が反対したことから、1947年に大半の活動を終了した。以後、救済復興事業は国際難民機関 (IRO) 、食糧農業機関 (FAO) 、国際児童緊急基金 (UNICEF) などの国連機関に継承された。 国際連合の創設以前に設立された機関であり、英名に含まれる「United Nations」を「国際連合」と訳すことは、日本では一般的ではない〔有賀貞「トルーマン・ドクトリン」(『原典アメリカ史(第6巻)』、225頁)は「国連救済復興局」、土屋清「UNRRA」(『世界大百科事典(1964年版)』)は「国際救済復興機関」と訳している。〕。 == 設立 == UNRRAは、連合国戦後必要物資委員会 (Interallied Postwar Requirements Committee) の改組によって設立された。連合国戦後必要物資委員会とは、イギリスをはじめ各国亡命政府によって1941年に設置された委員会であり、その名の通り欧州の戦後復興に必要とされる物資について調査した〔板垣、佐藤(1960年)、57-58頁。〕。 ソ連は同委員会を国際的組織に発展させるよう求め、米国もこれに同調した。米国はイギリス、ソ連、中華民国と共に創設条約の草案を作成し、44の連合国政府による若干の修正を経て、1943年11月9日にワシントンのホワイトハウスで調印に漕ぎ着けた。 創設条約は前文および本文10か条からなり、UNRRAの目的を次のように謳っている。 UNRRAは1943年11月10日にニュージャージー州アトランティック・シティで第1回理事会を開催し、行動原則を策定した。それによると、被援助国は供与された物資を国内で販売し、その利益はUNRRAとの合意の上で、救済及び復興のために支出されるべきことが定められた。また、貧困層にも援助物資が行き渡るよう、物資の一部は無償供与すること、富裕層が物資を買い占めないよう留意すること、政治的・人種的・宗教的な理由で差別的待遇をなしてはならないことが規定された〔板垣、佐藤(1960年)、58-59頁。〕。 参加各国の拠出額は概ね1943会計年度中の国民所得の1%(第3回理事会決議により、2%に引き上げ)であり、そのうち少なくとも10%は諸外国で使用できるように交換可能な形態のものとされ、残りの90%は参加各国が自国内で救援物資の購入に充てることとされた〔板垣、佐藤(1960年)、59-60頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「連合国救済復興機関」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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