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連邦同盟,Liga Federal または Liga de los Pueblos Libres(自由な人民による同盟)、アルゼンチン連邦派、とは、バンダ・オリエンタル(現代のウルグアイ)出身の自由主義派カウディージョ、による、旧リオ・デ・ラ・プラタ副王領全体を統括するアメリカ合衆国のような連邦国家を建設しようとの構想の中から生まれた、バンダ・オリエンタルとアルゼンチン東部の連邦派諸州の同盟のことである。この同盟は1814年から1820年まで続いた。 == アルティガスの連邦派 == それまでもエントレ・リオス州 、コリエンテス州、サンタフェ州からなるリトラル三州は、域内にラ・プラタ川の港を有するために中央集権的な政策をもって海外貿易を独占し、自由貿易を掲げて内陸部の弱体な国内産業を壊滅に追いやろうとするブエノスアイレスとの折り合いが非常に悪かった。 既にバンダ・オリエンタルは、1811年のブエノスアイレス主導の独立をパラグアイ、アルト・ペルー、コルドバと共に認めずに独自の姿勢を打ち出していたが、1815年にホセ・アルティガスがモンテビデオからブエノスアイレスの軍隊を追い払うと、彼は同年その地でラテン・アメリカ初の土地改革を行い、ここを拠点にブエノスアイレスの中央集権主義に対抗しようとした。 ブエノスアイレスに唯一太刀打ちできる良港モンテビデオを有する立場から、アルティガスはブエノスアイレスの貿易独占に反対し、ここで東方州に改組されたバンダ・オリエンタルとリトラル三州は意見の一致をみた。ここにコルドバ州とアンドレス・グアスラリーの率いるミシオネス州が加わって連邦同盟が結成され、ブエノスアイレスの貿易独占反対と、国内産業を保護するための保護貿易と、各州の自治権の擁護を掲げて同盟を結び、モンテビデオを外港に指定した。 こうして連邦同盟はアルティガスの旗を掲げてブエノスアイレスの中央集権派と戦った。この旗は東方州の旗でもあり、エントレ・リオス州旗も連邦同盟の旗とほぼ同一である。 アルティガスは最終的に旧リオ・デ・ラ・プラタ副王領、つまり現在のウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアを統括する、アメリカ合衆国のような国家を形成しようとしていたが、1816年に始まったブラジルからのポルトガル軍の侵攻はブエノスアイレスとリオ・デ・ジャネイロを同時に相手にしなければならないアルティガスの立場を厳しいものにした。 1820年、ゲリラ的な抵抗を続けていた連邦派の統領アルティガスはポルトガル軍への最終的敗北により失脚し、この時点でアルティガスの当初の目標は実現不可能なものになり、この敗北を受けてアルティーガスの連邦同盟は崩壊した。以降もアルゼンチンには連邦派と名乗る勢力は現れ、アルティガスの連邦同盟と似たような支持層から支持されるが、理念としてはアルティガスの考えていたものからは変質したものとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「連邦同盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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