|
遊川 和彦(ゆかわ かずひこ、1955年10月24日 - )は、日本のテレビドラマの脚本家。東京都出身。広島県大竹市育ち。修道高等学校、広島大学政経学部卒業。 == 経歴 == 東京都生まれ、小学校1年から広島県大竹市育ち〔今秋の朝ドラは「純と愛」、“ミタ”の遊川和彦が人々の絆を描く 〕〔連続テレビ小説 | ドラマトピックスブログ:NHKブログ 2012年01月19日 〕〔TBS「TBSテレビ放送50周年 涙そうそうプロジェクトドラマ特別企画『広島・昭和20年8月6日』」 、文化活動【向田邦子賞】/受賞者 第24回:遊川 和彦 | 東京ニュース通信 〕〔井川樹『男たちの修道』南々社、2012年、19-26頁〕。姉は女優の柳谷ユカ〔週刊女性2013年4月23日号「人間ドキュメント」〕。 修道高等学校在学中に文化祭で脚本を書いた喜びが、この仕事を始めた契機〔〔『プロフェッショナル 仕事の流儀「ぶつかりあって、愛が生まれる 脚本家・遊川和彦」』(2012年9月24日、NHK総合)〕〔成馬零一『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』河出書房新社、2013年、109-121頁〕。広島大学政経学部を5年かけて卒業〔。大学時代は広島市内の映画館を回りアイスクリームを売るアルバイトをした〔。 大学卒業後上京。最初は役者志望で無名塾の試験も受けた〔。映画学校に短期間在籍後〔、テレビ制作会社ディレクターを経て、1987年に『うちの子にかぎって…スペシャルII』で脚本家としてデビュー〔〔『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』90-108頁〕。フジテレビのトレンディドラマの仕掛け人・山田良明、大多亮プロデューサーと共に、1990年前後のTBSコメディドラマを八木康夫プロデューサーと共に作り上げた〔〔。また、ドラマのノベライズ本も多数出版している。 1991年『ADブギ』、1992年『十年愛』で、ダウンタウンの浜田雅功を役者として成功させた〔日刊スポーツ2010年1月24日16面〕。 1998年の「GTO」では原作、主演人気もあり平均視聴率28.5%、最終回には35.7%という驚異的な視聴率を叩きだした。 2003年、スペシャルドラマ『さとうきび畑の唄』の脚本を担当し、同作品が文化庁芸術祭大賞(テレビ部門)を受賞する。 2005年、涙そうそうプロジェクト『広島 昭和20年8月6日』(2005年8月29日、TBS)が、2006年日本民間放送連盟賞番組部門・最優秀作品に選ばれた。同年、日本テレビの連続ドラマ『女王の教室』を発表。鬼教師が児童を徹底的に管理するといった番組内容が大きな反響を呼び、初回から日本テレビに抗議の電話が殺到した。番組ホームページの掲示板は賛否両論、議論が沸騰。自身も初めて視聴者に「放送をやめろ」と言われたが、プロデューサーと覚悟を決めて曲げずに信念を貫き、本作によって学園ドラマの新境地を開いた。〔。同作品で、第24回向田邦子賞受賞。 TBSの日曜劇場では、田村正和が主演を務めるドラマの脚本を多数手がけている。 他にも松嶋菜々子が主演した作品を手掛けることも多く、それらの多くがヒットしている。特に2011年に彼女が主演した日本テレビの『家政婦のミタ』は、最終回でドラマ視聴率史上歴代4位タイ(放送当時は3位タイ)となる40.0%(21世紀のドラマでは歴代2位、放送当時1位)という、ドラマとしては11年ぶりの高視聴率を記録した。この作品では、2012年東京ドラマアウォード 脚本賞を受賞した。 2012年下半期に放送のNHK連続テレビ小説『純と愛』の脚本を手がけた。プロデューサーの山本敏彦は2年越しで脚本を遊川に依頼しており〔脚本家スペシャル対談[前編] 〕、遊川の提案であった「これまでの連続テレビ小説っぽくないもの」「演出家や役者にもロを出す」が了承され、脚本を執筆した経緯がある。脚本家としては珍しく週1で撮影現場に足を運ぶ等をし、朝ドラ初主演となった夏菜に演技指導を行う姿が『プロフェッショナル 仕事の流儀』で放送された。 2017年公開予定の映画『恋妻家宮本』で初監督を務める予定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遊川和彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|