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道宣(どうせん、ピンイン:Dào xuān、596年 - 667年)は中国唐代の律宗の僧侶で、南山律宗の開祖。 == 略歴 == 俗姓は銭氏で、本貫は呉興(現在の浙江省湖州市)(一説には丹徒(現在の江蘇省鎮江市)。父は陳の吏部尚書銭申で、隋に捕縛され、護送先の長安にて彼が誕生した。字は法徧、澄照、法慧と諡された。 16歳の時に日厳寺にて出家し智頵律師に学んだ。大業年間(605年 - 617年)、20歳の時に大禅定寺で具足戒を受け、同寺の智首について律を学び、禅観も修めた。 その後、各地に遊学し、武徳7年(624年)に終南山(南山)の浄業寺に住んで、講学と著述に励んだ。また、戒律の異本を渉猟して再び遊方に赴き、貞観9年(635年)には、律宗中の相部宗の祖である法礪のもとで学んだ。 貞観16年(642年)に南山の戻り、貞観19年(645年)に玄奘が帰朝すると、長安の弘福寺の訳場に招かれた。 永徽3年(652年)に、高宗の勅命によって西明寺が創建されると、上座に招かれた。同寺で『四分律』の注釈の執筆など、律の研究に没頭した。このことから後世の人々から南山律師と呼ばれるようになった。 乾封2年(667年)に亡くなり、唐の懿宗が咸通10年(869年)に澄照大師号を追贈した。 道宣の弟子は千人を数え、その教えを拡大させ、南山宗は一世を風靡し、現在の中国の僧侶も彼の四分律を学んでいる。法席を嗣いだのは周秀である。また、弟子の文綱系統からは鑑真が出ている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「道宣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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