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道島 五郎兵衛(みちじま ごろべえ、生年不詳 - 文久2年4月23日(1862年5月21日))は、幕末の薩摩藩士。名は正邦。 鹿児島城下で誕生。薬丸自顕流剣術の達人で、下級藩士の組織精忠組に加盟していた。 文久2年(1862年)有馬新七ら急進派の藩士が京都寺田屋に結集すると、島津久光の命で大山綱良・奈良原繁らとともに鎮撫使に任命された。道島は交渉決裂後、真っ先に「上意」と称して抜刀し、寺田屋事件の発端となっている。戦闘の最中、有馬と斬り合いになって共斃れとなった。これは鎮撫使側唯一の死者であった。 墓所は京都市東山区の東福寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「道島五郎兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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