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道徳再武装 : ウィキペディア日本語版
道徳再武装[どうとくさいぶそう]

道徳再武装(どうとくさいぶそう、、略称MRA)は、2001年まで存在した、国際的な道徳と精神に関する運動である。1921年メソジストフランク・ブックマン(フランクリン・ナサニエル・ダニエル・ブックマン、Franklin Nathaniel Daniel Buchman、1878年6月4日 – 1961年8月7日)牧師が率いるオックスフォード・グループ〔ブックマンが育ったペンシルバニア州アレンタウンは、ペンシルバニア・ダッチと呼ばれる信心深いヨーロッパ系移民の集団が居住する地域で、スイス東部サンガレンから入植したブックマンの一族もそのグループに属していた。ブックマン自身もルーテル派教会に所属し、孤児院の運営などに従事していたが、経営陣との間に軋轢を起こし、第一次大戦後渡英した。イギリス滞在中に精神的啓示を体験し、それをもとに布教活動を開始、「正直、純潔、無私、愛」の4つを絶対道義標準をもとに生活改善と世界情勢の変革を志すことを提唱した。当初の賛同者にオックスフォード大学の学生や教員が多かったことから「オクスフォード・グループ」と通称された。
:『アジアセンターODAWARA 四十周年記念一戦後の日本とMRAの軌跡』〕が発展する形で発足した。1938年に現在の名称となった〔Marc A. Rose, "Buchman and Moral Re-Armament, "Reader's Digest, October 1939, p.35.〕。以後、ブックマンは1961年に死去するまでの23年間に渡って、この活動を率いた。
MRAはキリスト教に端を発するものであったものの、非政府の国際ネットワークとしてあらゆる宗教や社会的背景に属する人々によって構成されている。MRAは、「4つの絶対標準」〔「絶対正直」、「絶対純潔」、「絶対無私」、「絶対愛」〕と呼ばれる考え方に則っている。MRAはその支持者に対して、政治的活動や社会的活動に参画することを奨励する〔これは、MRAの考え方の中核にある、「世界の変革は、自己の変革を模索することから始まる」という点に起因するものである。〕。
2001年に、道徳再武装は、その名称をイニシアティブス・オブ・チェンジ(IofC、日本ではICと呼ばれることが多い)に変更した。非政府組織のICインターナショナル〔スイスのコーに本拠地を置いており、法的かつ管理面の主体であり、各国の組織を国際連合との連携の中で束ねる役割を果たしている。〕として、国際連合欧州評議会との連携も図ろうとしている〔Official Website of Initiatives of Change 〕。各国における取組には、アメリカにおける「都市における希望(Hope in the Cities)」やスイスにおける「人間の安全保障に関するコー会議」、インドの「ガバナンスのための拠点」、シエラレオネの「Hope Sierra Leone」などがある。
== 概歴 ==
初期の道徳再武装運動は、ブックマンの個人的な信奉者の間で実践された。そのため、オックスフォード・グループから道徳再武装への名前の変化は、公式的なものではなく、徐々にもたらされた変化であった〔ブックマンは、1925年オーストラリアを訪れた際に「道徳再武装」というフレーズを考案していた可能性があるが、当時はまだオックスフォード・グループという呼称で知られていた。
:また、道徳再武装という単語は、文学界では、英国テニス界の英雄であるH.W.オースティンが約50万部を売り上げた「道徳再武装(平和への闘い)」を編集した1938年に初めて使われた、と主張する者もいる。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p279
ブックマンは、1938年5月29日に欧州における再軍備の機運の高まりについて言及した際、道徳再武装に類似した表現を使っている。
:「現下の危機は、道徳の危機である。各国は、道徳を再武装しなければならない。道徳の回復が、経済の回復の先触れであるということが大切なのだ」
Buchman, Frank N.D., Remaking the World (London, 1955), p. 46.〕。ブックマンとオックスフォード・グループのリーダーたちは、道徳再武装という新造語を好んだため、団体の名称が変わった。
戦争が始まると、道徳再武装運動の従事者たちは多くが連合軍に参加した。彼らは、その勇敢さゆえに、多くの戦局で勲章を受けた。また、戦争関連の産業において、精神高揚などに従事したものも多くいた〔のちにアメリカ大統領となる、ハリー・トルーマン上院議員が、上院の軍事関連契約を監督する委員会の委員長であったときに、1943年ワシントンで開かれた記者会見で、「障害は、疑念、対立、無関心、欲望に起因するものだ。こうした点に対処すべく、道徳再武装運動のグループが来てくれた。そして、人々が遠巻きに批判している中で、彼らは腕まくりをして、仕事に従事した。そして、彼らは、誰が正しいかではなく何が正しいか、という原理に則り、産業にチームワークを持ち込むという点で多大な功績を残している。」と述べている。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p. 324〕。戦争が終了すると、道徳再武装運動の従事者は、永続的な平和を構築するための活動に戻ることとなる。
1946年には、道徳再武装運動は、スイスのコー (Caux)にある遺棄されていた巨大なホテルを購入、改修した〔このホテルは、欧州における各国の和解の中心地となった。ドイツアデナウアー首相やフランス外相ロベール・シューマンをはじめとして、数多くの人々が集った。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p 382
:歴史家のダグラス・ジョンストンシンシア・サプソンは、この動きを「近代国家の歴史の中での最も重大な業績(すなわち戦後におけるフランスとドイツの急速な和解)への大きな貢献」と評している。 Johnston and Sampson, Religion, the Missing Dimension of Statecraft, Oxford University Press, 1994〕。その後、数十年に渡って、道徳再武装運動は、世界中に広がった。特に、植民地支配からの脱却に向かっていたアフリカとアジアの各国で浸透が顕著だった。独立に向けた闘争の指導者の多くは、対立する集団間に和解をもたらし、独立への移行の道ならしをした道徳再武装の貢献に敬意を評した〔1956年には、モロッコ国王ムハンマド5世がブックマンにメッセージを送り、「ここ最近の試練の年月の最中でモロッコのために貴殿がなされたことに対して、私は感謝の意を表します。道徳再武装は、我々ムスリム、あなた方クリスチャン、そしてあらゆる民族を動かす誘引に違いありません。」と述べた。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p 454
:1960年には、キプロスの大統領であるマカリオス大司教と、副大統領であるクキュック副大統領が共同で独立キプロスの最初の国旗をコーにいたフランク・ブックマンにおくっている。これは、MRAの支援への感謝の意を示すものであった。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p 524〕。しかし、後述する日本での展開は策略的なものであった〔そして日本の保守政治家も、やはりモロッコやキプロスのように敬意を払った。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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