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道昭(どうしょう、道紹や道照とも、舒明天皇元年(629年)- 文武天皇4年3月10日(700年4月3日)は、河内国丹比郡船連(ふねのむらじ)(現・大阪府堺市)出身の法相宗の僧である。父は船恵尺。 == 略歴 == * 白雉4年(653年)、遣唐使の一員として定恵らとともに入唐し、玄奘三蔵に師事して法相教学を学ぶ。玄奘はこの異国の学僧を大切にし、同室で暮らしながら指導をしたという。摂論教学を学んだという記録もあるが、摂大乗論に関する注釈は現存していない。 * 年時不明、玄奘の紹介で隆化寺の恵満に参禅した。 * 斉明天皇6年(660年)頃に帰朝、同時に持ち帰った多くの経論・経典類は、平城京へ遷都後、平城右京の禅院に移され重用された。 * 年時不明、飛鳥寺(別称は法興寺、元興寺)の一隅に禅院を建立して住み、日本法相教学の初伝となった(南寺伝)。 * 680年、天武天皇の勅命を受けて、往生院を建立する。 * 晩年は全国を遊行し、各地で土木事業を行った。 * 700年に72歳で没した際、遺命により日本で初めて火葬に付された。その記録も現存している(『続日本紀』)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「道昭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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