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道武帝 : ウィキペディア日本語版
道武帝[どうぶてい]

道武帝(どうぶてい)は、北朝北魏初代皇帝。姓拓跋珪(たくばつ けい)。別名は渉珪、什翼圭、翼圭、開。


== 来歴と事績 ==
鮮卑拓跋部の創始者・拓跋力微の玄孫。拓跋什翼犍(高祖昭成帝)の孫(ただし『宋書』では拓跋什翼犍の子となっている)。
371年に父の拓跋寔(献明帝)は武将の長孫斤の反乱によって殺される。さらに376年には後嗣問題がこじれて祖父の拓跋什翼犍も庶兄の拓跋寔君によって殺された。このため弱体化した代は前秦苻堅によって滅ぼされる。肉親と祖国を失った幼い珪は鮮卑賀蘭部の東部大人だった外祖父の賀蘭野于を頼った。
やがて成長した珪は苻堅が死ぬと、親戚で匈奴独孤部の大人(たいじん:部族長)劉庫仁の後盾を得て、386年に中川(現在の山西省)で旧民を糾合し代王を称して自立、盛楽(現在の内モンゴル自治区フフホト市ホリンゴル県)に都を置いた。同年には国号を魏に改めて魏王に即位。その後河北に進出して同地を制圧、柔然などを討伐、また391年には遼河源流のシラムレン河下流で仇敵の庫莫奚を、また内蒙古の科布多テュルク系の高車を征服、さらに396年には匈奴鉄弗部劉衛辰赫連勃勃の父)の軍勢を破ってこれを斬り、華北をほぼ平定した。398年には平城(現在の山西省大同市)を都として皇帝に即位した。
即位後、部族民による合議制を廃して中央集権化を目指す一方で、それまで野蛮と言われた民族の習慣を打破するために漢民族の文化を積極的に取り入れた。また、多民族統一の手段として仏教を積極的に取り入れ、泰山の沙門竺僧朗を厚遇したり、平城に堂塔を建立したりした。皇始年間には、趙郡の沙門法果道人統に任じて僧徒を統率させた。
晩年は酒色に溺れ、道士の調合した薬によって精神に異常をきたすようになり、后妃に対してまで乱暴を繰り返すようになった。409年、母の賀氏の身を案じた次男の清河王拓跋紹が宮廷クーデターを起こして珪を殺害したが、その紹も兄(珪の長子)の拓跋嗣(後の明元帝)に捕らえられて殺害された。享年39。
死後に烈祖宣武帝〔〔、のちに改められて太祖道武帝廟号諡号を追諡された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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