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道頓堀劇場[どうとんぼりげきじょう] 道頓堀劇場(どうとんぼりげきじょう)は、北海道札幌市すすきの、東京都渋谷区に存在するストリップ劇場2ヶ所のこと。区別のため札幌道劇、渋谷道劇ともよばれる。ロック座、東洋ショー劇場などと並んでストリップ業界大手の一角を占めている。 == 歴史 == 1970年1月16日に渋谷道頓堀劇場が開場した。一説では、「道玄坂劇場」という名称にするつもりが、手違いのため「道頓堀劇場」という劇場看板が完成してしまい、それをそのまま使用したのが名称の由来とも言われる。一方後述する幕間コントの出演者だった渡辺正行は「(漫才ブーム)当時はお笑いといえば関西のイメージが強く、関西の地名を出したほうが客が呼べるのではないかと思いこの名前になった」とも述べている(『徹子の部屋』2011年5月19日放送分より)。 開館から数年の間は、SMや本番ショーといった過激な出し物が中心となっていたが、1985年に風営法の改正がなされ、風俗業界への取り締まりが強化されるに及んで道頓堀劇場も大幅な路線転換を余儀なくされる。 そこで従来の過激路線から完全に脱皮を図り、著名な文学作品や演劇作品などをモチーフとして、いわゆる芸術的な要素を前面に押し出した集団劇形式のステージを行うようになった。また、同時期にスカウトされた清水ひとみ(その後、1999年から2007年まで道頓堀劇場社長)をはじめ、影山莉菜や美加マドカといった若い踊り子を加入させ、ストリップ業界におけるアイドル路線の嚆矢となっていった。中でも清水ひとみは雑誌やスポーツ紙などマスコミにも取り上げられ、1986年にストリップから引退した後は女優としてテレビドラマなどに出演するなど、道頓堀劇場の知名度向上に貢献した。またこの時期に劇場の幕間コントに出演していたコメディアンから、後にビッグネームに育った者も少なくない。(後述) こうして劇場が隆盛を迎えたが、地権者から劇場の立ち退きを要求され、渋谷道頓堀劇場は1995年末をもっていったん閉館した。その後清水ひとみら劇場関係者の尽力により、札幌道頓堀劇場を1999年4月にオープンするに至った。そして2001年6月には、かつて渋谷道頓堀劇場があった土地建物を親会社が買収し、渋谷道頓堀劇場を再オープンさせた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「道頓堀劇場」の詳細全文を読む
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