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達ヶ関森之助 : ウィキペディア日本語版
大木戸森之助[おおきど もりのすけ]
大木戸 森之助(おおきど もりのすけ、生年不明 - 1812年1月24日文化8年12月11日〉)は、伊勢ノ海部屋〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3209&l=j〕〔秀ノ山部屋という説もある。〕に所属した元力士。最後の達ヶ関 森之助(だてがせき もりのすけ)の四股名でも有名である〔。
本名・身長・体重は不明〔。九州〔〔陸奥国(現在の宮城県)出身という説もある〕出身。
最高位は東大関
1804年3月場所で、仙台藩抱え力士となり、看板大関として付出された〔〔大関伝 看板大関 相撲評論家之頁のHP。87人目大関大木戸森之助の名がある。〕。当時の四股名はふきがえし寅右エ門だった。この四股名を付けていた最初の2年間は土俵入りのみで相撲を取らなかったが、四股名を大木戸に変えて初めて相撲を取った1806年2月場所で5戦全勝の優勝相当成績を挙げた〔〔文化3年春場所 大相撲星取表のHP。この場所は江戸大火(文化の大火)により、5日目で打ち上げとなった。また他に柏戸利助が東関脇,玉垣額之助が西関脇で5戦全勝しているが番付上位により大木戸が優勝相当成績とされている。〕。しかし、翌1806年10月場所では東関脇に番付を落とされ、そこでも4勝1敗5休の成績を挙げるが、翌1807年2月場所は平幕(東前頭2枚目)に落とされた〔。この場所全休すると、以後は成績が振るわなくなったこともあり〔但し、江戸時代は負け越しが続いていても、抱えのの意向で番付が上がるケースも少なくなかった。〕、1808年3月場所以降は二段目(現在の十両)で相撲を取っていた〔。また1807年2月場所以降は、勝ち越しが1場所もなかった(1810年10月場所の4勝4敗以外は負け越し)〔。最後の1811年11月場所は西二段目6枚目(十両6枚目)まで陥落し0勝7敗3休の成績に終わり〔文化8年冬場所 大相撲星取表のHP。〕、翌1812年1月24日に現役中のまま死去した。初土俵から7年の短い土俵人生であり、勝敗数に関係なく抱えの藩の意向で番付が変動した、江戸時代の番付制度の最大の犠牲者でもあった。
幕内通算 5場所 10勝7敗1預26休の成績を残した。優勝相当成績1回(1806年2月場所)。
改名歴は3回ある:ふきがえし 寅右エ門 → 大木戸 森之助 → 達ヶ崎 森之助 → 達ヶ関 森之助〔。
== 出典 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大木戸森之助」の詳細全文を読む



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