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禅(ぜん)は、大乗仏教の一派である「禅宗」(ぜんしゅう)の略〔『広辞苑』「禅」〕〔デジタル大辞泉「禅」 - goo辞書 〕、もしくはサンスクリット語のdhayānaの音写「禅那」の略〔〔。また「座禅」(「坐禅」)の略としての意もある〔『大辞林』「禅」〕。本項では宗派についての「禅」(禅宗)について述べる。 南インド出身で中国にわたった達磨が祖で、坐禅を基本的な修行形態とする。ただし、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは中国の唐代末期からである。こうして宗派として確立されると、その起源を求める声が高まり、さかのぼって初祖とされたのが達磨である。それ故、歴史上の達磨による直接的な著作は存在が認められていない。伝承上の達磨のもたらしたとする禅は部派仏教における禅とは異なり、了義〔了義(りょうぎ)。解りやすく崩したり表現を変えるようなことをせず、完全・明白に説かれた教え。涅槃経の四依品には、末代の人は了義によるべきであり、不了義によってはならないとある。〕大乗の禅である。 中国禅は唐から宋にかけて発展したが、明の時代に入ると衰退していった。日本に純粋な禅宗が伝えられたのは鎌倉時代であり、室町時代に幕府の庇護の下で発展した。明治維新以降は、鈴木大拙により日本の禅が世界に伝えられた。 禅宗諸派において、自宗と自宗以外のすべての教宗とを区別する意味で「禅宗」と自称する。 == 「禅」 == === 言葉の由来 === 「禅」はサンスクリットの (ジャーナ、パーリ語では )の音写、あるいは音写「禅那(ぜんな)」の略である〔〔。他に駄衍那(だえんな)・持阿那(じあな)の音写もある。 他の訳に、思惟修(しゆいしゅう)・静慮(じょうりょ)・棄悪〔棄悪(きあく)。心の正しき働きを覆い隠すような一切の悪を捨て去る〕・功徳叢林〔功徳叢林(くどくそうりん)。衆徳のあつまること叢林のようである。〕・念修〔念修(ねんしゅう)。修は習得すること。習得して得られるものは棄悪・功徳叢林である。〕。 「禅」の字は元来、天や山川を祀る、転じて、天子が位を譲る(禅譲)という意味であった。これに「心の働きを集中させる」という語釈を与えて禅となし、「心を静かにして動揺させない」という語釈を与えて定とし、禅定とする語義が作られた。 ただし禅那の意味では声調が平声から去声に変わっており、現代北京語では加えて声母も変わって(シャン)に対し(チャン)になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「禅」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Zen 」があります。 スポンサード リンク
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