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遠藤 宗信(えんどう むねのぶ、元亀3年(1572年) - 文禄2年4月13日(1593年5月13日))は、安土桃山時代の武将。陸奥の伊達氏の家臣。通称、文七郎。遠藤基信の子。 == 事蹟 == 天正13年(1585年)、父の基信は不慮の死を遂げた伊達輝宗に殉死した。このため宗信が遠藤家の家督を継ぎ、伊達政宗に仕え宿老となる。 天正16年(1588年)6月の佐竹・岩城連合との戦いでは田村城を死守するなど活躍した。 文禄元年(1592年)の朝鮮出兵でも政宗に従い渡海し、武功を挙げている。 帰国後に原因は不明だが、一時出奔するが、後に帰参した。 文禄2年(1593年)に京都にて22歳で病没。遠藤家は、弟の遠藤玄信が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤宗信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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