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遠藤慶利[えんどう よしとし]
遠藤 慶利(えんどう よしとし、1609年5月11日(慶長14年4月8日) - 1646年8月9日(正保3年6月28日))は、美濃八幡藩の第2代藩主。三上藩遠藤家2代。 飛騨の戦国大名・姉小路氏の一門で徳川義直に仕えていた森直綱の次男。母は遠藤慶隆の娘・清洲。正室は板倉重宗の娘。子に遠藤常友(長男)、遠藤常昭(次男)、遠藤常紀(三男)、娘(小笠原貞信継室)。官位は従五位下、伊勢守、但馬守。 外祖父の遠藤慶隆には嫡子・遠藤慶勝がいたが大坂冬の陣で発病して翌年に京都で病死した。慶隆には他に男子が無かったため、慶利が養嗣子とされた。寛永9年(1632年)6月28日、慶隆の死去により家督を継ぐ。寛永11年(1634年)、将軍・徳川家光の3度目の上洛に供奉する。寛永13年(1636年)、朝鮮通信使御馳走役を命ぜられる。正保3年(1646年)6月28日、38歳で死去し、跡を長男の常友が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤慶利」の詳細全文を読む
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