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遠藤 智史(えんどう ともふみ、男性、1981年5月19日 - )は、日本のキックボクサー。東京都あきる野市出身。ヌンサヤームジム所属。 == 来歴 == 2004年5月2日、第15回全日本新空手道選手権大会・K-2トーナメント軽量級に出場し、3位となった〔第15回全日本新空手道選手権大会 全日本新空手道連盟公式サイト〕。 2004年7月24日、AJジム所属として全日本キックボクシング連盟でプロデビュー〔[全日本キック] 7.24 後楽園:佐藤嘉洋KO勝ち BoutReview 2004年7月28日〕。 2006年4月21日、全日本キックボクシング連盟で正巳と対戦し、0-3の判定負け。8戦目で初黒星となった。 2006年9月19日、タイのルンピニー・スタジアムで開催された「スッグ・フェアテックス」でムエタイに初挑戦するも、デッドブゥアン・ソー.ブアンラットに0-3の判定負けを喫した〔【全日本キック】タイ遠征! 遠藤、激闘の末に僅差の判定負け。ワンロップは勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年9月19日〕。 2008年7月26日、全日本ライト級王座決定トーナメントBブロックで寺崎直樹、白濱卓哉に判定勝ちを収め、全日本ライト級王座決定戦出場を決めた〔[全日本キック] 山内&望月、王座前哨戦制す。前田初戦敗退 BoutReview 2008年7月28日〕。 2008年12月5日、「Fujiwara Festival 〜藤原祭り2008〜」で行なわれた全日本ライト級王座決定戦で海戸淳と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した〔[全日本キック] 前田&コヒ勝利。プルボー&遠藤が新王者に BoutReview 2008年12月7日〕。 2009年5月6日、初参戦となったJ-NETWORKでJ-NETWORKスーパーフェザー級王者木村天鮮と対戦し、3-0の判定勝ち〔[J-NETWORK] 黒田&シング、苦戦防衛。遠藤、王者対抗戦制す BoutReview 2009年5月8日〕。 2009年7月17日、連続参戦となったJ-NETWORKでJ-NETWORKライト級王者黒田アキヒロと対戦し、3-0の判定勝ち〔[J-NETWORK] 遠藤、黒田との王者対決制す。佐藤政人が王者に BoutReview 2009年7月19日〕。 2009年8月の全日本キックボクシング連盟解散・AJジム閉鎖に伴い、ヌンサヤームジムに移籍した。 2010年3月21日、初代M-1ライト級王座決定トーナメント準決勝で中村敏射と対戦し、0-2の判定負け〔[M-1ムエタイ] 中村敏射&壮泰、初代M-1ライト級王座戦進出 BoutReview 2010年3月21日〕。その後、中村が目を負傷したため、繰り上がりで王者決定戦への出場が決定した〔【M-1】6・6“キックの鉄人”増田博正が世界王座防衛戦、中村敏射が緊急手術 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年5月14日〕。 2010年6月6日、初代M-1ライト級王者決定戦で壮泰と対戦し、膝蹴りでKO勝ちを収め王座を獲得した〔[M-1ムエタイ] 増田博正、カノンスックに敗れWPMF世界王座陥落 BoutReview 2010年6月6日〕。 2010年9月12日、カノンスック・ウィラサクレックの持つWPMF世界ライト級王座と自身の持つM-1ライト級王座を賭けたダブルタイトルマッチが行なわれ、左肘打ちでTKO負けでM-1ライト級王座から陥落した〔【M-1】カノンスックが戦慄のヒジ打ちで二冠王に!神村エリカが世界タイトル防衛(1) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月12日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤智史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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