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遠藤 純男(えんどう すみお、1950年10月3日 - )は、日本の柔道家であり、元ノースアジア大学教養部教授。モントリオールオリンピックでの柔道・重量級の銅メダリスト。講道館柔道八段。 == 来歴 == 福島県郡山市出身。福島県立岩瀬農業高等学校を経て日本大学卒業後、警視庁警察官に奉職。 モントリオールオリンピックでは油断から敗れたが技の切れは一級品であった。上村春樹とライバル関係にあって両雄とも参加したが揃っての金メダルとはならなかった(上村は無差別級で金メダルをとった)。170cm・120kgという体型からの背負い投げは強烈であった。長身の外国人選手からは、ずいぶんと恐れられた。世界選手権(1975年、1979年)や全日本選手権(1976年)で優勝。 後年は山下泰裕のライバルとして、1980年の全日本選抜柔道体重別選手権大会では奇襲技「蟹挟」(オリンピックなどの国際大会では禁じ手)で山下の腓骨をへし折った。詳細は山下泰裕のリンクを参考。 警視庁退職後の1981年に、秋田経済大学(1983年に秋田経済法科大学に改称)経済学部助教授に就任、その後1989年に同教授、2006年に教養部に配置換えを経て、現在はノースアジア大学教養部教授で同大学の柔道部総監督(柔道の指導者としては、2004年のアテネオリンピックで公式審判員を務めたことを機に一線を引いている)を務めた。 大学での教鞭を取る傍ら、1990年に全日本柔道連盟公認A審判員の資格を取得したのを機に全日本柔道選手権大会や全日本選抜柔道体重別選手権大会などの審判を務め、1996年に国際柔道連盟(IJF)のコンチネンタル審判資格、1998年にはIJFインターナショナル審判資格を取得、福岡国際女子柔道選手権や正力松太郎杯国際学生柔道大会、更には世界柔道選手権大会、アテネオリンピック柔道競技といった国内外の国際公式戦の審判を務めている〔遠藤純男先生の主な審判をした記録 福島県郡山市立小泉小学校オフィシャルサイト〕。 2011年3月にノースアジア大学を退職し、1年間非常勤講師を務めた後に大学現場から離れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤純男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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