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遠藤 胤昌(えんどう たねまさ、文化元年10月4日(1804年11月5日) - 安政3年6月27日(1856年7月28日))は、近江三上藩第5代藩主・遠藤胤統の養嗣子である。官位は式部少輔。正室は遠藤胤統の娘。養子に胤城。 美濃高須藩の第9代藩主・松平義和の事実上四男として生まれる。幼名は邦之丞。なお、享和3年生まれ(都合により文化3年生まれと生年詐称している)の松平容敬は公式上は会津松平家で生まれて、水戸徳川家にいなかったことになっているので、公式上は三男ということになっている。天保3年(1832年)5月2日、遠藤胤統の養子となるが、胤統に先立って安政3年(1856年)6月27日に死去した。享年53。戒名は直諒院素温。 たねまさ 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤胤昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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