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「遥かなる甲子園」(はるかなるこうしえん)とは、 # 戸部良也のノンフィクション作品。正式タイトルは『青春の記録 遥かなる甲子園 聴こえぬ球音に賭けた16人』。続刊も出ている。#原作本の項を参照のこと。 # 1を原作として山本おさむが描いた漫画作品。双葉社の漫画アクションに連載。単行本はアクションコミックスとして10巻出ている。 # 上記2作および小野卓司のノンフィクション作品『廃校の夏〜風疹児たちのプレイボール』(講談社刊)を原作として作られた映画作品。#映画版の項を参照のこと。 # 1を原作として作られた演劇作品。#演劇版の項を参照のこと。 本稿では2を中心に述べ、1・3・4については末尾に触れる。また、1を原作としたテレビドラマについても#テレビドラマ版の項で触れる。なお、かとうひろしの『はるかなる甲子園』とはまったく関係がない。 == 概要 == 沖縄県に実在した、風疹聴覚障害児のための聾学校『北城ろう学校』(漫画では『福里ろう学校』)を舞台に、高校野球にあこがれる少年達が、幾多の困難を乗り越え硬式野球部を作り、甲子園を目指すというもの。 少年達が生まれる前年の1964年(昭和39年)は、アメリカで風疹が大流行した年であり、それは軍用地を持つ沖縄にも広まり、妊婦の中にも感染する者が多かった。そのため翌年沖縄県ではたくさんの聴覚障害児が生まれ、彼らの教育施設として1978年 - 1983年の6年間限定で設立されたのが『北城ろう学校(中等部・高等部)』であった。 少年達は硬式野球部を作るが、日本学生野球憲章第十六条『それぞれの都道府県の高等学校野球連盟に加入することができる学校は学校教育法第四章に定めるものに限る』に道を阻まれる。ろう学校は第六章に属する学校であり、高野連に加入できなければ大会はおろか他校との練習試合も出来ない。北城ろうは当時の高野連会長・牧野直隆(漫画では中山会長)の計らいにより、特例として沖縄県大会のみへの参加を許されたのであった。 : ※学校教育法 第四章 高等学校・第六章 特殊教育 山本おさむはこの作品を描くにあたり、「その視座を野球部員自身に移して、その感情をダイレクトに書いてみよう」と試みた。近所の手話サークルに通い詰め手話を学び、聴覚障害や沖縄に関するたくさんの文献を読み、そこから得た知識を元にエピソードを膨らませていった。こうしてこの漫画は山本自身の創作が入り込み、“ノンフィクションを基にしたフィクション”という形をとることになった。 この経験が、以降の彼の作品作りを方向付けていく。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遥かなる甲子園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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